大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成元年(ワ)1340号 判決 1991年3月15日

原告

浅井敏司

右訴訟代理人弁護士

浅井岩根

岩本雅郎

小関敏光

被告

名古屋市

右代表者交通局長

平野幸雄

右訴訟代理人弁護士

鈴木匡

大場民男

右訴訟復代理人弁護士

吉田徹

鈴木雅雄

中村貴之

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一一万一八七三円及びこれに対する平成元年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は一級建築士として設計業務を営む者、被告は地方公営企業の業務として鉄道事業を行う地方公共団体であり、名古屋市交通局長は右鉄道事業の業務執行につき名古屋市を代表するものである。

2(回数券相当額の返還請求権)

(一) (主位的請求―条例上の還付請求権)

(1) 原告は、昭和六三年一月または二月ころ、名古屋市営地下鉄一社駅切符売場において、地下鉄の回数券(後述の旧回数券)一区一一枚綴り(一四〇〇円)、同二区一一枚綴り(一七〇〇円)を各一冊ずつ購入した。

これによって、原被告間において、運送契約が成立した。

(2) 原告は、現在旧回数券のうち、一区の回数券五枚(636.4円相当)、二区の回数券八枚(1236.4円相当)を有している。

(3) ところで、回数券については次のとおり定められている。

(イ) 高速電車乗車料条例施行規程(以下「施行規程」という。)五一条

乗車券の通用期間は、別に定めるもののほか、次の各号による。

三号 回数券 乗車料金変更等の場合を除き、制限しない。

(ロ) 高速電車乗車料条例(以下「本件条例」という)一三条

一項 乗車券の様式を変更したときは、その変更の日から三か月以内に、請求によって旧乗車券を新乗車券と引き換える。

二項 前項の期間内に引き換えない旧乗車券は、交通局長が定める期間経過後は、これを無効とする。

(ハ) 施行規程五〇条の二

条例一三条二項に規定する交通局長が定める期間は、同条一項の期間を経過した日から三月とする。

(4) 被告は、昭和六三年四月一日、市営地下鉄の乗車料金の改定に伴い、回数券の様式変更を行った。その結果、右様式変更前の回数券(以下「旧回数券」という)は、右条例及び施行規程により同年九月末日の経過をもって無効とされた。

(5) 本件条例一〇条一項、二項、施行規程八六条二項、一項には、未使用の回数券について、既納の料金を還付請求できる旨の規定がある。なお施行規程八六条二項、一項は、未使用回数券が通用期間内であることを要件としているが、右条項は本件条例で認めた既納料金の還付請求権を不当に制約するものであり、本件条例の趣旨に反して無効である。少なくとも一方的な様式変更によって回数券の通用期間を奪う本件においては、通用期間内に限る旨の要件は適用されない。また本件条例一三条一項における無効とは、乗車券として使用できないとの意味であり、前記既納料金の還付請求権を否定するものではない。

従って原告は被告に対し、未使用回数券相当金額について、本件条例上の還付請求権を有する。

(二) (予備的請求―不当利得返還請求権)

(1) (一)(1)(2)(3)(4)と同じ。

(2) ところで、旧回数券が乗車券の様式変更後六か月経過後は無効となるとの部分は、次のとおり、原被告間の契約内容になっていないか、または無効であって原被告間に適用されない。

(イ) 被告は、旧回数券に通用期間を記載せず、これを制限することなく回数券を発売し、原告もこれを信じて購入した。したがって、様式変更後六か月経過後は無効となる旨の条項は、いわゆる「不意打ち条項」であり、かかる条項は契約の構成部分とはならない。

(ロ) 仮に旧回数券が乗車券の様式変更後六か月経過後は無効になるとの部分も原被告間の契約内容となるとしても、右部分は、無期限性かつ乗車駅選択可能性を帯有し金券に近い性質の回数券を、六か月という極めて短期間で紙くず同然にしてしまうものであるから、甚だしく不合理であり、したがって、公序良俗に反して無効であるか、または、有効と主張することが信義誠実の原則に反して許されない。

(3) 被告に無効とされた原告が有する回数券は一八七三円相当であるところ、原告は右同額の損失を蒙り、一方被告は右同額の利得をしている。

従って原告は、被告に対し、右同額の不当利得返還請求権を有する。

3 (慰謝料、弁護士費用)

原告は、被告による不合理な措置によって精神的苦痛を蒙ったが、これを慰謝するためには一万円が相当である。また、本件訴訟に要する弁護士費用は一〇万円を下回ることはない。

4 よって、原告は被告に対して、旧回数券相当額一八七三円については、主位的に本件条例一〇条一項、二項、施行規程八六条二項、一項の還付請求権に基づき、予備的に不当利得返還請求権に基づき、慰謝料及び弁護士費用合計一一万円については不法行為による損害賠償請求権に基づき、以上合計一一万一八七三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の平成元年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金もしくは利息の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1については、原告が一級建築士として設計業務を営んでいることは不知であるが、その余は認める。

2  同2(一)(1)及び(2)は不知(ただし、(1)のうち運送契約の成立に関する主張は争う)であるが、同(3)及び(4)は認める。

回数券の購入時には未だ運送契約もその予約も成立せず、単に乗車料金の前払いがあったことを証する金銭代用証券が交付されたにすぎない。

3  同2(一)(5)は争う。

施行規程八六条二項、一項は、未使用回数券が通用期間内であることを要件として定めているが、これは本件条例一〇条二項が、既納料金を還付する乗車券の種類及び還付すべき額を交通局長に委任していることによるものであるから、何ら条例の趣旨に反することはなく、適法である。また本件条例一三条一項、施行規程五〇条の二によって無効となった旧回数券をもって、原告は、被告に対して何らの権利行使もすることができなくなったのであるから、還付請求することはできない。

4  同2(二)(2)は争う。

地方公共団体の経営する鉄道事業の乗車料金は、地方自治法二二五条の公の施設利用の使用料に該当するものであり、使用料に関する事項については、同法二二八条一項により、条例で定めることとされている。従って本件条例一三条一項、二項及び施行規程五〇条の二の各条項は、原被告間の契約内容となる。

また右各条項及びそれに基づく旧回数券の無効措置は、以下の理由から合理的であり、適法である。

(一) 不特定の大量の乗客を迅速に処理しなければならない鉄道事業においては利用者に速やかに新様式の回数券を使用してもらう必要がある。

(二) 旧回数券には通用期間を記載していないので、新様式の回数券の使用を実現するためには、旧回数券を無効にする措置が必要である。

(三) 本件条例及び施行規程においては、新様式の回数券との引き換え期間を三か月とし、さらに三か月の払戻期間を設定しており、被告と同様の鉄道事業を経営する地方公共団体が回数券に二ないし三か月の通用期間を設定していることと比較しても妥当である。

(四) 貨幣においても、法律において一定の引き換え期間を設定し、その期間経過後は一切権利行使できないとした例がある。

(五) 旧回数券の無効措置については、地下鉄の駅構内に公告した。

(六) 右措置について記載したポスターを、地下鉄の駅構内及び車内、バス営業所、バスの乗車停留所及び車内において、掲載した。

(七) 右措置について記載した交通局ニュースを利用者に配布した。

(八) 右措置について記載した広報なごやを市内全家庭に配布した。

(九) 名古屋市交通局告示を制定して、名古屋市として公式の公告手段である市役所、区役所の各掲示板に掲示した。

5  同2(二)(3)は否認する。

6  同3は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

(理由中に引用する証拠のうち、成立について言及のないものは、成立に争いがないか、弁論の全趣旨により成立が認められるものである。)

一請求原因1の事実は、原告が一級建築士として設計業務を営む者であることは弁論の全趣旨から認められ、その余の事実については、当事者間に争いがない。

二請求原因2(一)(条例上の還付請求権)について検討する。

1  同2(一)(1)、(2)の各事実(ただし、運送契約成立に関する部分を除く)は、証拠(<省略>)により認められ、同(3)、(4)の事実は当事者間に争いがない。

原告は、回数券の購入によって原被告間に運送契約が成立した旨主張するけれども、被告が発売していた回数券(<省略>)は、「一区一四〇円区間」というように金額で区間を特定するのみであって、具体的な乗車区間や、通用期間の特定のなされたものではなかったことが認められるから、右は運送契約として内容の特定されたものとは認められないので、原告の主張は採用することができない。

原告は、被告から、後日運送契約が成立した場合に、その運送利益を享受する対価として支払うべき乗車料の支払に代えることができるという一種の票券を取得したにすぎないと解するのが相当である。

2  同2(一)(5)の主張について

証拠(<省略>)によれば、本件条例一〇条一項は、既納の料金は請求により還付することができる旨を、同条二項は、還付する乗車券の種類及び額は交通局長が定める旨をそれぞれ規定しているところ、施行規程八六条は、右条例一〇条二項をうけて、乗客は、乗車開始前に普通券、回数券、団体乗車券が不要となった場合、それが改札前で、かつ、通用期間内であるときに限り、既に支払った料金の払戻しを請求することができる旨定めていることが認められる。

そこで、施行規程八六条が還付する回数券等は通用期間内である場合に限る旨規定することの適否について検討するに、本件条例一〇条二項が還付する乗車券の種類については交通局長による施行規程で定める旨規定していることは右にみたとおりであり、還付請求権は、本来、回数券等が現有する財産的価値を換金するための手続であると解される以上、これらが有効であることは当然の前提とされることに鑑みれば、施行規程の右限定は、本件条例による委任の趣旨に反するところはないというべきである。したがって、様式変更後の所定の期間経過により無効とされた原告の回数券によっては、もはや右還付請求権を行使することはできないものといわざるを得ない。

さらに、原告は、一方的な様式変更によって回数券の通用期間を奪う本件においては施行規程の右条項の適用はない旨、本件条例一三条一項、二項、施行規程五〇条の二による旧回数券の無効は乗車券として使用できないという趣旨に止まり、還付請求権を否定する趣旨ではない旨それぞれ主張するが、いずれも合理的根拠のない独自の見解であり、採用することはできない。

3  よって、条例上の還付請求権に基づく原告の請求は理由がない。

三請求原因2(二)(不当利得返還請求権)について検討する。

1  請求原因2(二)(2)の主張について

(一)(1)  普通地方公共団体である被告は、被告の鉄道事業に関する事項につき条例を制定することができる(地方自治法二条二項、三項三号、一四条一項、地方公営企業法二条一項五号、四条)ところ、右鉄道事業の給付については料金を徴収することができる(地方公営企業法二一条)から、被告は乗車料に関する事項を条例で定めることができる。したがって、乗車料に関し地下鉄の利用条件を定める本件条例及びその委任を受けて定められた施行規程は、被告と地下鉄利用者との関係をその知、不知に拘らず一律、画一的に規律するものといわざるを得ないから、本件条例及び施行規程に基づいて発行され、地下鉄利用者が使用する回数券の具体的内容についても、右条例及び施行規程によって定められるといわなければならない。

(2) そして、本件条例一三条一項、二項、施行規程五〇条の二は、回数券の様式が変更された場合には、変更前の回数券はその様式変更から六か月を経過して無効となる旨規定しているから、被告の発行する回数券は、これを購入した利用者との間で、本来右の如き性質を有するものとして扱われるべく規律されているといわなければならない。

したがって、回数券に関する本件条例及び施行規程の右各条項は、これを購入した原告との間にも当然に適用され、原告が主張するような不意打ち条項であると観念する余地はないといわざるを得ない。

(二)  原告は、また、旧回数券は乗車券の様式変更後六か月経過後は無効になるとの条項が原被告間の契約内容となるとしても、右部分は、無期限性かつ乗車駅選択可能性を帯有し金券に近い性質の回数券を、六か月という極めて短期間で無効にしてしまうものであるから、甚だしく不合理であり、公序良俗に反して無効であるか、または、有効と主張することが信義誠実の原則に反して許されないと主張する。

なるほど、被告の発行する回数券が金銭代用の一種の票券であること、及び右回数券は通用期間の定めのない無期限のものであることは先に述べたとおりであり、また、証拠(<省略>)によれば、回数券には様式が変更された場合一定期間経過後は無効になるとの記載のないことが認められるから、これを購入した利用者は、その購入時には、回数券が無効となることのあることを予想し得ないといわざるを得ない。

しかしながら、不特定かつ多数の乗客を迅速に処理しなければならない鉄道事業においては、回数券の様式が変更された場合には、これを新様式のものに統一する合理性、必要性を肯定しうるうえ、回数券そのものは通常長期間保有される性質を有するものではなく、証拠(<省略>)によれば、地下鉄を経営する他の地方公共団体の回数券は通用期間が二ないし三か月とされていることが認められることに鑑みれば、様式変更後無効となるまでの期間六か月は、不合理といえる程に短期間であるとはいいがたい。しかも、地下鉄利用者は、右期間内に料金の払戻しを受けるか、右期間のうち前半の三か月間は旧回数券を新様式の回数券に引き換えることも、また新料金との差額を添えることによってこれを使用することもできる機会をも与えられているのであって、六か月の期間内に地下鉄の利用を事実上強制されるというものでもない。さらに、本来であれば回数券購入時に利用者にそれが無効となる場合のあることを何らかの方法により知らせることが望ましいといえるが、証拠(<省略>)によれば、被告は、昭和六三年四月一日以降の料金改定に伴う回数券の様式の変更に際し、六か月後に旧回数券が無効となること及びその間の引き換えや払い戻しの手続について、地下鉄の駅や車内、市バスの営業所、停留所や車内での広告の掲示、利用者への交通局広報誌の配布、名古屋市広報誌への記事掲載等地下鉄利用者への可能な限りの周知措置をとったことが認められるから、後日現実に回数券の無効とする措置をとるにあたり利用者への周知徹底を図ることが可能であり、かつ、そのことが予定されていると認めることができる。以上にみた、様式変更の場合旧回数券を無効とする措置をとることの合理性や必要性、六か月の期間の相当性とその間に旧回数券所持者に対しとられる措置、現実に旧回数券を無効とするにあたっての利用者への周知可能性及び現にとられた周知方法等に照らせば、回数券の様式変更後六か月の期間経過により旧回数券を無効とするとの本件条例及び施行規程の定めは、甚だしく不合理で公序良俗に反し無効であるとか、あるいは、有効と主張することが信義誠実の原則に反して許されないものであるとはいえないといわなければならない。

2  以上のとおりであるから、本件条例一三条一項、二項、施行規程五〇条の二の各条項による旧回数券に対しとられた措置は有効になされたというべきであるから、その余の点につき判断するまでもなく、不当利得返還請求権に基づく原告の請求は理由がない。

四請求原因3(慰謝料、弁護士費用相当の損害賠償請求)について

旧回数券を無効とした被告の措置に違法な点のないことは既に述べたところから明らかであるから、その違法性を前提とする原告の慰謝料等の損害賠償請求は理由がない。

五結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官笹本淳子 裁判官園田秀樹 裁判官渡邉和義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例